裏切りや寝返りが続出!幕末期の東北・北陸諸藩による「奥羽越列藩同盟」が呆気なく消滅してしまった理由:2ページ目
最初からあった不安要素
しかし先に書いた通り、この同盟は最初から危ういものでした。参加した諸藩が、必ずしも一致団結していたわけだはなかったのです。
そもそも、参加した諸藩の中には、断り切れずに仕方なく参加した藩もありました。同盟を結んで新政府軍と衝突することに懐疑的だったものの、強硬論を説く藩に圧されて半強制的に参加したところもあったのです。
例えば、越後国の新発田藩は仙台・米沢藩からの恫喝を受けて参加しただけでした。同藩はその後、新政府に弁明の書状を送っているほどです。
しかも、その仙台・米沢藩も一致団結していたわけではありません。仙台は主戦派でしたが、米沢は専守防衛派という違いがありました。こうした意見の相違があった上に、両藩は同盟の主導権争いで対立していたのです。