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さわのモデルは誰?赤痢の怖さ、道長と倫子は子沢山…大河ドラマ「光る君へ」3月24日放送振り返り

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道長と倫子の子供たち

さて、永延元年(987年)に結婚した道長と倫子。これで摂政家と左大臣家のつながりは強まりました。

摂政家は自分たちに唯一対抗しうる左大臣家の懐柔に成功し、左大臣家としても摂政家の権勢に乗れるのは悪い話ではありません。

もっとも、源雅信(益岡徹)は倫子を天皇陛下へ入内させたかったのでしょうが、年齢的なタイミングなどが合わなかったようです。

一説によると、まひろ(藤式部→紫式部)はこの時に倫子づきの女房として出仕したと言われます。

なぜなら女房名(ビジネスネーム)の式部は現時点における父・藤原為時(岸谷五朗)の極官(最高官職)であるから。

仲良くしてくれる倫子と、最愛だった道長の関係を間近で見せつけられる今日中は察するに余りあるものです。

なお、道長と倫子の夫婦仲は円満で、多くの子女を授かりました。

【道長と倫子の子供たち】

長女・藤原彰子(見上愛)
永延2年(988年)生~承保元年(1074年)没
一条天皇に入内し、中宮となる。後一条天皇・後朱雀天皇を生んだ。

長男・藤原頼通(よりみち)
正暦3年(992年)生~延久6年(1074年)没
父の後継者として摂政・関白になる。娘の藤原寛子(かんし/ひろこ)を後冷泉天皇に、養女の藤原嫄子(げんし/もとこ)を後朱雀天皇に嫁がせる。

次女・藤原妍子(けんし/きよこ)
正暦5年(994年)生~万寿4年(1027年)没
三条天皇(居貞親王)に入内し、皇后となる。娘の禎子内親王(ていしないしんのう)が後朱雀天皇に入内する。

五男・藤原教通(のりみち)
長徳2年(996年)生~承保2年(1075年)没
後に関白となる。娘の藤原歓子(かんし)は後冷泉天皇に入内し、皇后となった。

四女・藤原威子(いし/たけこ)
長保2年(1000年)生~長元9年(1036年)没
後一条天皇に入内し、皇后となる。娘の章子内親王(しょうし/あきこ)は後冷泉天皇の中宮、馨子内親王(きょうし/かおるこ)は後三条天皇の中宮に。

六女・藤原嬉子(きし/うれしこ)
寛弘4年(1007年)生~万寿2年(1025年)没
後朱雀天皇の東宮(皇太子)時代に成婚、後冷泉天皇を生んだ。

のちに天下の権勢を極めた道長の正室とあって、6人の子供たちはことごとくエリートぞろい。

もし倫子を主人公とする物語があったら、
「倫子はたくさんの子宝に恵まれ、どの子も立派に成長。一族は大いに立ち栄え、道長と末永く幸せに暮らしました。おしまい」
というハッピーエンドが描かれることでしょう。

とは言え、道長には側室の源明子ほか、たくさんの妻妾がいました。

妾よりは恵まれていても、寂しい時があるのも確か。

10代のまひろが思っているほど、正室もいいことばかりではなかったようです。

5ページ目 庚申待(こうしんまち)について

 

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