ヒール役全開な藤原道兼、実は結婚していた!妻の藤原繁子とはどんな女性なのか?【光る君へ】:2ページ目
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しかし道兼との結婚生活は永く続かず、正暦3年(992年)には右大臣家の家司である平惟仲と再婚しました。
のち尚侍(ないしのかみ)となって従三位に叙せられた繁子は、娘の尊子を一条天皇に入内させます。母として、これほどの喜びはなかったでしょう。
また姪孫である藤原彰子(しょうし/あきらこ。道長の娘)が一条天皇の中宮に立てられた時は理髪係を務めました。
やがて寛弘2年(1005年)3月14日、夫の惟仲に先立たれると好明寺(※)に隠棲。その菩提を弔う日々を送ります。(※)惟仲の菩提寺と思われるが不明。
甥の道長からは慕われており、その晩年まで手厚く扱われたのでした。
その様子は清少納言は随筆『枕草子』で「羨ましげなるもの(第151段)」の一つ(内裏・春宮の御乳母)に挙げるほどだったそうです。
晩年の女性にとって、有力者の庇護ほど心強いものはなかったことがよく分かります。
藤原繁子の没年は不詳。夫の後を追うように、静かな最期を迎えたことでしょう。
終わりに
以上、藤原繁子の生涯を駆け足でたどってきました。
懐仁親王の乳母として、いつも静かな存在感を放っている彼女ですが、これから道兼や惟仲との結婚生活は描かれるのでしょうか。
これからも、山田キヌヲの好演に期待しています!
※参考文献:
- 『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年10月
トップ画像 左:「光る君へ」公式サイトより
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