あまりにもブラックすぎ…身分差別や強制入隊、突然のクビ…美化されすぎた「奇兵隊」の真実:3ページ目
突然の解散と集団解雇
こんな玉石混交の集団なので、トラブルが起きるのも当然だったと言えるでしょう。奇兵隊は長州藩の正規の部隊と馬が合わず、正規部隊の隊士の一人を殺してしまう教法寺事件を起こしてしまいます。
この事件が起きたのは、奇兵隊結成からわずか三か月後のことでした。この事件の責任を問われ、高杉は総督の職を罷免されています。
もちろん、そんな奇兵隊も、実際の戦争では活躍しました。例えば第二次長州征伐では、藩軍の中心的存在となって幕府軍を圧倒しています。また戊辰戦争でも政府軍の一部として数々の戦果を挙げました。
では戊辰戦争が終了した後、奇兵隊はどうなったのでしょうか? 中には、山縣有朋のように政府で活躍した人もいましたが、実はほとんどの隊士たちはいきなりクビになっています。
これは奇兵隊だけではなく、奇兵隊を含む長州藩の各部隊に共通する措置でした。隊士たちは、論功行賞を与えられることもないまま解散させられたのです。
当時、これらの各部隊の隊員は総勢5千人以上いました。しかし、新たに結成されることになった常備軍で引き続き雇われたのは、半分以下の2千人ほどに過ぎませんでした。
さすがに、この措置に激怒した各部隊の隊士のうちおよそ2千人は、反乱事件を起こしています。それも無理のない話ですね。
このように見ていくと、実は一般的に知られている奇兵隊のイメージはかなり美化されたものだと分かるでしょう。四民平等などという素晴らしいものではなく、その内実は大変ブラックだったのです。
参考資料:
日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年