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考えが甘すぎ!?幕末期に明け渡された江戸城、実は「すぐ返してもらう」つもりだった【前編】

考えが甘すぎ!?幕末期に明け渡された江戸城、実は「すぐ返してもらう」つもりだった【前編】

江戸城はいずれ返ってくる予定だった!?

幕末期のいわゆる「江戸城の明け渡し」については、思い切った英断だったというイメージが一般的です。

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追い詰められた幕府側でしたが、徳川慶喜は江戸城を明け渡すことで討幕派による攻撃を回避。こうして江戸の街は戦火を免れました。およそ260年も本拠とした城を差し出して町を守ったのですから、まことにあっぱれと言いたいところです。

ところが最近の研究では、実は幕府側はこの江戸城の明け渡しについて、あまり重く考えていなかったことが分かっています。

詳しく言えば、当時の幕府側は、江戸城を明け渡すのはあくまでも一時的なものだと考えていたのです。城はいずれ返ってくるだろうし、徳川慶喜の地位も保証されるに違いないと思っていたのです。

これは、明け渡された江戸城が、幕府寄りだった尾張藩預かりになったのも大きな理由でした。いずれ城は返還されるだろうという噂も、幕府内では流布していたといいます。

この思惑があったため、かの勝海舟は、一度は江戸城の返還を大総督府に意見したほどでした。

2ページ目 明け渡し後も続いた混乱

 

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