考えが甘すぎ!?幕末期に明け渡された江戸城、実は「すぐ返してもらう」つもりだった【前編】:2ページ目
明け渡し後も続いた混乱
江戸城が新政府へ引き渡されたのは1868年4月11日のことです。これとあわせて、徳川慶喜は故郷である水戸藩へ移されました。
そして、幕府に代わって江戸の町の治安維持を担うことになったのが東征大総督府です。
東征大総督府とは、旧江戸幕府軍勢力制圧のために、新政府によって設置された臨時の軍司令官のこと。戦争の指揮権や、徳川家および諸藩処分の裁量権などが与えられていました。
しかし、当時の江戸の町は治安が悪化していました。江戸城の明け渡しの前にも、薩摩藩の工作によって町はかなり荒らされていたのですが、開城後には警備力が低下してしまい、状況はさらに悪化していたのです。
しかも、新政府に反発した旧幕臣が東北や関東方面に逃亡すると、東征大総督府はそちらへ兵を派遣しなければなりません。そのため、江戸の警備は手薄になっていました。