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したたかで狡猾、有能な徳川慶喜。「大政奉還」直後、政争は慶喜に有利に動いていた?【前編】

したたかで狡猾、有能な徳川慶喜。「大政奉還」直後、政争は慶喜に有利に動いていた?【前編】

「大政奉還」のイメージ

幕末の歴史をご存知の方なら、徳川慶喜大政奉還に至るまでのいきさつは説明するまでもないでしょう。

[今さら聞けない幕末]どうして徳川慶喜は大政奉還をしたの?きっかけはあの幕末ヒーロー

今年2017年は大政奉還150周年の節目。幕末にペリーが来ていろいろあって、徳川慶喜が大政奉還した、というのは授業で習いましたが、詳しい背景は教科書に載っていませんよね。今回は、今さら聞けない大政奉還…

この、大政奉還という行為は、今までは徳川慶喜が実権を維持するためのいわば「悪あがき」として見られてきました。

しかし現在の研究者の間ではそうは見られていません。むしろ、大政奉還は、慶喜が実権を維持するための行動として有効なものだったと考えられているのです。

その理由と、ことの経緯を解説しましょう。

徳川慶喜という人物

幕末期、徳川幕府の態勢立て直しの期待を受けて第十五代将軍の座に就いた徳川慶喜。

彼は一般的に思われているよりも極めて優秀な政治家でした。

格闘技の達人で討論にも秀でており、常識はずれの胆力を備えていました。

さらに権謀術数においても全く迷いがなく、抜群の人脈と政治力を持つ人物だったのです。よって、幕府の立て直しを期待されるのも当然と言えました。

しかしそんな慶喜でも、当時の幕府を再建するのは大変に難しいことでした。

この頃の幕府は第二次長州征伐にも失敗しており、反対に、武力倒幕を目指していた薩長連合に追い詰められている状態だったのです。

そして最終的に、慶喜は土佐藩による提案を受け入れて、政権を朝廷へ返還する大政奉還を行うことを決断したのでした。

2ページ目 大勢は慶喜に有利だった

 

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