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したたかで狡猾、有能な徳川慶喜。「大政奉還」直後、政争は慶喜に有利に動いていた?【前編】

したたかで狡猾、有能な徳川慶喜。「大政奉還」直後、政争は慶喜に有利に動いていた?【前編】:2ページ目

大勢は慶喜に有利だった

さてそれで、この大政奉還ですが、一般的には当時の慶喜の思惑はこうだったと考えられています。

「長年、政治の表舞台から遠ざかっていた朝廷には、政権運営能力がない。よって政権を返還されたところで国家運営はできず、結局幕府が頼られて再び実権を握ることになるだろう」――。

しかしこうした思惑も大久保利通や西郷隆盛は先読みしており、慶喜の目論見は見事にはずれてしまった。これが、大政奉還に関する一般的なイメージです。

実際、その後の全体的な歴史の流れを見れば、最終的に彼の目論見が外れてしまったのは確かです。大政奉還が行われた後、幕府に政治の実権が戻ってくることはありませんでした。

しかし現在の研究では、大政奉還が行われた直後の政治状況は非常に複雑で、むしろ慶喜の方に有利に動いていたと言われています。

大政奉還の本当の目的は「朝廷への降伏」「悪あがき」などではありませんでした。実は、政権を自ら返上してしまうことで、薩長の武力倒幕を未然に防ぐことこそが慶喜の本当の目的だったのです。

先に、全体的な歴史を見れば政治の実権が幕府に戻ってくることはなかった――と述べましたが、実は大政奉還が行われた当初は、公武合体派の有力大名は慶喜の決断を非常に高く評価していました。

もともと、朝廷と幕府が手を結んでともに政治を行うのが妥当だと考えていた公武合体派の人たちは、慶喜が新政権で国家運営のかじ取りを行うことを歓迎していたのです。

そして、こうした動向は西郷・大久保にも伝わっており、彼らは蚊帳の外に置き去りにされる形になったのでした。

この時の詳しい状況については、【中編】で詳しく説明します。

【中編】の記事はこちらから

参考資料:
日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年
倉山満『日本史上最高の英雄 大久保利通』徳間書店、2018年

 

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