元は公家出身のヤンチャ小僧!最後の元老・西園寺公望はどのような政治家だったのか?【中編】

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元は公家出身のヤンチャ小僧!最後の元老・西園寺公望はどのような政治家だったのか?【前編】

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桂太郎との友情

後に首相の座に就いた西園寺公望ですが、彼の内閣を説明するのに欠かせないのが「桂園時代」です。伊藤博文が結党し西園寺が二代目総裁になった政友会と、山縣有朋の派閥(山縣閥)は対立関係にありましたが、西園寺と、山縣有朋の懐刀・桂太郎との間には不思議な友情がありました。

そして二人が、いわば出来レースのような形で交代しながら政権を担当した、明治後期の1901年から大正末期の1923年までの十年ほどの期間を「桂園時代」と呼びます。

実際には最初から完全に諮った出来レースではなく、政権を譲る(禅譲)にあたり一方が条件を付けるなどの駆け引きもありました。

ざっくり言えば政党(政友会)に属する西園寺は政党政治家サイドで、山縣閥とそれに属する桂太郎らは軍人政治家サイドでした。

まだ政党政治が始まっていない時期の、この二人による「桂園体制」は独特のもので、後の政党政治における「憲政の常道」の原型と言えるかも知れません。

いろいろ対立の芽はあったものの、西園寺と桂の間には不思議な信頼関係があり、それぞれの妾を同伴して酒を酌み交わすことすらあったそうです。

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