手洗いをしっかりしよう!Japaaan

元は公家出身のヤンチャ小僧!最後の元老・西園寺公望はどのような政治家だったのか?【中編】

元は公家出身のヤンチャ小僧!最後の元老・西園寺公望はどのような政治家だったのか?【中編】:3ページ目

桂園時代の西園寺内閣の実績

「桂園時代」の、西園寺・桂による政権交代は四回行われています。この間、西園寺内閣によって行われた鉄道国有化・南満州鉄道会社(満鉄)の設立・二個師団増設などは、元老の意に沿ったものや桂内閣の政策を引き継いだものでした。

また日本社会党の設立も認めており、内相だった原敬は山縣有朋の牙城だった内務省の掌握に努めました。さらに貴族院の有爵議員から閣僚を登用して、山縣派の閣僚出身議員に対抗しています。公家出身ならではの政策として、数多くの文化政策も取り入れられました。

外交面では、日仏協約・日露協約を結び、第三次日韓協約で朝鮮の内政権を獲得しています。こうして西園寺は、本格的な政党政治へ着実に日本の政治を進めていきました。

西園寺は、日露戦争の後始末として、その後の外交を的確に展開させたと言えます。また伊藤博文から原敬への橋渡しも上手に行いました。

ただ政界工作はほとんど原敬に任せきりで、その政見は漠然としており受け身なところがあったようです。

社会主義思想の規制を緩和するなど、フランスで自由主義を学んだ西園寺ならではのリベラルなやり方は西園寺に独特のものですが、新しい政策を次々に生み出していくエネルギッシュさは、桂太郎の方が突出していたと言えるでしょう。

【後編】の記事はこちらから

参考資料
八幡和郎『歴代総理の通信簿』2006年、PHP新書
宇治敏彦/編『首相列伝』2001年、東京書籍
サプライズBOOK『総理大臣全62人の評価と功績』2020年

 

RELATED 関連する記事