元は公家出身のヤンチャ小僧!最後の元老・西園寺公望はどのような政治家だったのか?【中編】:2ページ目
桂園時代へ
「桂園時代」に入る経緯は次の通りです。
西園寺は、1906年に二代目の政友会総裁に就任し、桂太郎から政権を譲られました。
先の日露戦争で、日本は一応の勝利を収めましたが、ポーツマス講和条約の内容が屈辱的だとして国民は不満を抱いており暴動まで発生しています。しかし政府としては何としても講和条約を締結する必要があり、時の総理大臣・桂太郎と政友会の原敬は会談を行いました。
その結果、政友会も講和条約に賛成することになり、その交換条件として桂が西園寺に政権を譲るという密約を交わします。第一次西園寺内閣はこうして成立しました。
その際西園寺は、桂から、政友会の勢力があまり大きくならないことを条件として出されていました。
そこで、政友会から入閣した大臣は原敬など少数にとどまり、内容としては政友会と山縣・桂系の派閥の連立内閣のような形になります。
こうして政友会のような政治政党と、山縣・桂が率いる藩閥勢力は、お互いに無視できない関係になっていきます。
双方の橋渡しを行い、政権交代がスムーズに進むための交渉役として活躍したのが原敬でした。