手洗いをしっかりしよう!Japaaan

日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったのか【後編】

日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったのか【後編】

前回の記事

日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったのか【中編】

「国民政府を相手にせず」【前編】では、近衛文麿が政治の世界に足を踏み入れて第一次近衛内閣を組閣し、満州事変が勃発したところまでを見てきました。その後、混迷する日本の政治情勢の中で近衛はどのように立…

痔の治療と倒閣

さて、第三次近衛内閣が退陣し、その後を継いだ東條英機内閣によって太平洋戦争が始まります。

東條は、開戦直後に日本が連戦連勝している間は良かったのですが、その後の戦局の悪化に伴い、権力を自分のもとに集中させて国民に対して圧政を強いていきます。

彼は参謀総長などの役職を兼任し、「それは憲法違反だ」「東條の言うことを聞いても日本は負けっぱなしじゃないか」と批判する人には弾圧を加えました

権力の座から退いた近衛は、ここで急に良識的な見方に立ち戻って終戦工作のために動き始めます。

サイパン島が落ちて日本が空襲の脅威にさらされ、いよいよ敗戦が現実味を帯びてくると、ここで「もう東條ではだめだ」という共通認識のもと、近衛が中心になって種々の和平工作が行われるようになったのです。

「和平工作」と「東條倒閣」はワンセットでした。倒閣には元駐英大使だった吉田茂、陸軍皇道派、海軍大将の小林躋造らが動き、重臣の岡田啓介もこれに呼応。近衛文麿の秘書である細川護貞は、東條暗殺も計画していました。

ちなみに細川は、近衛がなぜ東條倒閣の時に目が覚めたように活躍できたのかについて、「痔」が原因だったと述べています。近衛は痔が悪い時は気力が全くなかったのですが、手術後は人が変わったようになったとか。

痔の手術がもっと早ければ戦争も避けられたし、体調が回復したからこそ和平工作に勤しむこともできたのだろう、と細川は説明しています。

こうして東條内閣は総辞職に追い込まれました。

2ページ目 戦後も大臣として交渉

 

RELATED 関連する記事