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お江戸の火事対策。どのような消防組織が作られたのか?【その1】

お江戸の火事対策。どのような消防組織が作られたのか?【その1】:2ページ目

大火をきっかけに、今の消防署のルーツが生まれた

江戸の三大大火の一つに数えられる「明暦の大火」は、1657年(明暦3年)に発生。江戸の町は焼け野原になりました。非常に大きな被害が出たことから、4代将軍・徳川家綱は「定火消(じょうびけし)」という組織を作ります。

これは、火消役が火消屋敷に寝泊まりし、火事が起きたらすぐにかけつけるというものでした。火消屋敷は、現在の消防署の原型ともいわれています。

町人の火消も組織される

江戸の一般の人々が住む町人エリアのきちんとした火消組織は、1718年(享保3年)に「町火消」が作られたことに始まります。これは、町奉行の大岡越前守忠相によるものでした。

町ごとに火消人足と火事の際に出動する義務を課したものです。隅田川から西を担当するいろは組47組(のちに48組となる)と、東を担当する本所・深川の16組が設けられました。ちなみに、「町火消」の人数は1万人以上だったとも言われています。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

 

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