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余りに悔し過ぎて…『後拾遺和歌集』を偽造した平安貴族・藤原伊房(これふさ)のエピソード

余りに悔し過ぎて…『後拾遺和歌集』を偽造した平安貴族・藤原伊房(これふさ)のエピソード

古来「どんぐりの背比べ」とはよく言ったもので、傍から見ている分には「しょうもないことで争っているな」と思えます。しかし争っている当人たちにしてみれば、その1ミリ2ミリこそが死活問題なのです。

そんな心情は古今東西変わらぬもので、今回は平安時代に活躍した公家・藤原伊房(ふじわらの これふさ)のエピソードを紹介。果たして彼は、何をやらかしてくれるのでしょうか?

「あれ、歌が二首多いぞ?」

時は応徳3年(1086年)、白河天皇(しらかわてんのう。第72代)の勅命によって完成した勅撰和歌集『後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう)』。

撰者は藤原通俊(みちとし)、実に1218首の和歌が選び抜かれたと言います。

さて、いよいよ清書する段になって、その役には伊房が指名されました。彼は能書家として知られた藤原行成(ゆきなり/こうぜい)の孫で、祖父の名に恥じぬ名筆だったのです。

勅撰和歌集の清書を仰せつかるとは、この上なく名誉なこと。格調高く、気品ある筆を存分に奮おうとした伊房でしたが……。

「……何だこれは!」

原稿を確認した伊房は怒りに震え出します。それもそのはず、自分の歌が一首しか入っていなかったのです。

(現代に生きる私たちの感覚で喩えるなら、皇室の歌会始で自分の詠んだ和歌が取り上げられたようなもの。一生に一度でも欣喜雀躍モノですが、伊房ほどの歌人ともなると、載るのは当たり前なのでしょうね)

しかも、ライバルたちは二首も三首も入撰しているではありませんか。これほど悔しいことはありません。

もちろん、下には下(入撰すらしていない者)がいるでしょうが、そんなものは目に入りません。ただ自分が一首で、ライバルたちよりも下回ってしまった事実があるのみです。

2ページ目 悪だくみを思いついた伊房

 

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