余りに悔し過ぎて…『後拾遺和歌集』を偽造した平安貴族・藤原伊房(これふさ)のエピソード:2ページ目
悔しいけれど、かと言って彼らの歌を消してしまう訳にも……そうだ!伊房は悪だくみを思いつきました。
お察しの通り、伊房は清書のドサクサに紛れて、自作の歌を二首ばかり書き加えてしまったのです。まったくしょうもないですね。
現代で言うなら公文書偽造でしょうか。とりあえずこんなにたくさん和歌があるからバレないでしょ……と提出してはみたものの、あっさり発覚してしまいました。当たり前ですね。
「まったくしょうもないことを……大至急、書き直すように!」
こっぴどく叱られた上、再提出を厳命された伊房。普通ならここで反省して、大人しく書き直すものですが、彼はこれを突っぱねて清書の役を辞退してしまいました。
けっきょく清書は他の者が行ったということですが、特に伊房が罰せられたという話は聞かないため、意外と同情されたのかも知れませんね。
かくしてライバルたちより多く歌を載せることができなかった伊房。実に残念です。
しかし余り巧くない津守国基(つもりの くにもと)の歌が『後拾遺和歌集』に三首も入っているのは、撰者の藤原通俊に小鯵(こあじ)を賄賂に送ったからだとの噂が『袋草紙』に伝わっています。
だから別名『小鯵集(こあじしゅう≒小鯵程度の安い賄賂で入撰するほど格の低い歌集)』などとも呼ばれたそうですが、賄賂を送るなんて、伊房のプライドが許さなかったことでしょう。
(と言って、別に伊房が高潔な人格だった訳ではありません。後に大宰府権帥として武器の密輸で莫大な財産を築き、厳罰に処せられています)
終わりに
ところで『後拾遺和歌集』に入撰した伊房の歌がコチラです。
榊葉に ふる白雪は きえぬめり
神の心も 今やとくらむ
治部卿伊房
【意訳】榊(さかき)の葉に降った白雪も、とけて消えたようだ。神様の御心も、きっととけているだろうよ。
この「神の心」は「お上の怒り」でしょうか。以前に何かやらかして、お怒りを買ったのではないでしょうか。
「あーあ、怒られちゃった。でもちょっと時間も経ったし、お怒りもとけているだろうから、謝りに行こう」
そんな心情が詠まれているのだと思います。何だかちょっとホッとする、心に残る歌ですね。
他の勅撰和歌集にも4首載っている伊房の和歌についても、また改めて紹介したいと思います。
※参考文献:
- 久保田淳ら校注『後拾遺和歌集』岩波文庫、2019年9月
- 小松茂美『日本書流全史』講談社、1970年1月