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悲劇か当然の報いか……江戸時代に痴情のもつれがきっかけで起きた「白子屋お熊事件」とは?

悲劇か当然の報いか……江戸時代に痴情のもつれがきっかけで起きた「白子屋お熊事件」とは?

「白子屋お熊事件」発生とその後

又四郎との結婚後も、お熊と忠八との密通は続きます。そこで邪魔になるのが又四郎。按摩の横山玄柳を利用し、又四郎の毒殺を企てたのです。

その計画を知ったお熊の母・お常も、止めるどころか加担する始末。下女のきくに又四郎を襲わせます。

幸い又四郎の傷は浅く、ケガ程度でしたが、これが表沙汰となり、町奉行に事件の調査を訴えます。

この事件を裁いたのは、超有名なあの人

又四郎が町奉行に訴えたときの奉行は、かの有名な大岡越前(「越前」は官名であり、本名は「大岡忠相(ただすけ)」)でした。「白子屋お熊事件」は大岡越前が確実に裁いた事件だと言われています。

事件に関連する人物のそれぞれの処分は以下のとおり。
・お熊:市中引廻しの上死罪
・忠八:市中引廻しの上浅草にて獄門
・下女きく:死罪
・下女ひさ(お熊と忠八の仲立ちをした):町中引廻しの上死罪
・母つね:遠島
・父庄三郎:江戸払
・按摩横山玄柳:江戸追放

なお、お熊が市中引廻しされた際には、その美貌の悪女を一目見ようと多くの人が集まったと言います。事件は江戸に波紋を呼び、その後は川柳が詠まれたり、浄瑠璃「恋娘昔八丈」や歌舞伎「梅雨小袖昔八丈」の作品となったりしています。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

 

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