『西遊記』三蔵法師の孫弟子?伝説の僧侶・行基が実践した”他者の利益を優先する”教え:2ページ目
仏の教えを実践
さらに布教だけでなく、彼は布施屋と呼ばれる施設を建てました。これは街の貧しい人々に寝る場所と食べるものを提供する福祉施設のようなものです。
他にも川に橋を架けたり、農業用の池を掘ったり、道路を作ったりと、民衆のための土木事業を多数行いました。その数は布施屋が9ヶ所、橋が6ヶ所、溜池が15ヶ所、寺院が49ヶ所に及びます。
なぜいち僧侶が、公共事業を決定する政治家のようなことをしているのでしょうか。ヒントは行基の師匠筋にあります。
彼が「玄奘三蔵」いわゆる三蔵法師の孫弟子にあたることは最初に述べましたが、行基の師匠である道昭は、唐へ渡った時に玄奘から教えを受け、大乗仏教の利他行を学んでいます。
利他行とは、自らの利益や悟りを追求するだけでなく、他者の利益を優先することを大切にする教えです。
この教えを道昭から学んだ行基は、公共事業という形でそれを実践したのです。
聖武天皇にも力を貸す
当初、禁止されている民衆への布教を行う行基を抑えこむ動きもありましたが、時の天皇である聖武天皇は、そんな行基に目を付けました。国分寺の建立と東大寺の大仏造立を果たすべく、彼の力を借りようと考えたのです。
民衆を救うために活動していた行基と、民衆の心をひとつにまとめようとする統治者としての天皇とでは、もちろん思惑にずれもあります。
しかし、寺の建立と大仏造立が民衆の心の拠り所になると考えた行基は、協力することを決め、東大寺の大仏造立の実質的な責任者として尽力しました。
そして行基は日本で初めて大僧正の位を受けることになりました。
そんな行基の民衆からの支持はすさまじく、行基菩薩と呼ばれるほどだったそうです。今でも、東大寺のある奈良県中心部の駅前には行基の像が建っており、人々に親しまれています。
参考資料
コラム 行基による公共事業
神戸のタウン誌-月刊 神戸っ子
産経ニュース
バズプラスニュース