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「鎌倉殿の13人」公式記録『吾妻鏡』から実朝暗殺と公暁の末路をたどる。第45回放送「八幡宮の石段」予習

「鎌倉殿の13人」公式記録『吾妻鏡』から実朝暗殺と公暁の末路をたどる。第45回放送「八幡宮の石段」予習:2ページ目

立ちまくりだった死亡フラグ

以上が『吾妻鏡』の伝える実朝暗殺と公暁の最期。さて、前回放送でもちょっと言及があった実朝の出発直前についても書いてありました。

……抑今日勝事。兼示變異事非一。所謂。及御出立之期。前大膳大夫入道參進申云。覺阿成人之後。未知涙之浮顏面。而今奉昵近之處。落涙難禁。是非直也事。定可有子細歟。東大寺供養之日。任右大將軍御出之例。御束帶之下。可令着腹巻給云々。仲章朝臣申云。昇大臣大將之人未有其式云々。仍被止之。又公氏候御鬢之處。自抜御鬢一筋。稱記念賜之。次覽庭梅。詠禁忌和歌給。
出テイナハ主ナキ宿ト成ヌトモ軒端ノ梅ヨ春ヲワスルナ
次御出南門之時。靈鳩頻鳴囀。自車下給之刻被突折雄劔云々。又今夜中可糺彈阿闍梨群黨之旨。自二位家被仰下。信濃國住人中野太郎助能生虜少輔阿闍梨勝圓。具參右京兆御亭。是爲彼受法師也云云。

※『吾妻鏡』建保7年(1219年)1月27日条

そもそも今日の勝事(しょうじ。不祥事)については、事前から数々の異変が記録されています。

「……どうした入道よ、何ゆえ泣いておる?」

せっかくのハレ舞台というのに、泣いているのは大江広元(演:栗原英雄、前大膳大夫入道)。この時は出家して覚阿(かくあ)と号していました(以後、広元で統一)。

「拙僧は成人してより数十年、およそ泣いたことがございませぬ。しかし今、鎌倉殿のお傍に近づくと涙が止まらなくなってしまったのです」

それが感激の涙か否か、広元は実朝に進言します。

「かつて右大将家(亡き源頼朝)は東大寺供養に臨み、用心として束帯(そくたい。正装)の下に腹巻(鎧)を着こまれました。どうか此度もそのように……」

すると側にいた仲章がこれを拒否しました。「これまで大臣・大将に昇った方がそのようになされた前例がない」との事で腹巻の着用は取りやめに。

(大河ドラマでは泰時が腹巻を勧め、断ったのは実朝自身でしたね。ちなみに神社仏閣など神域に刃物を持ち込むのは禁忌ですから、もし「太郎のわがまま」を聞いてあげるなら、脇差を受け取るよりも腹巻を着けた方が良かったように思います)

これに何かを感じたのか、実朝は髪を結い直してくれた公氏(きんうじ。人名)に、自分の髪を一本抜いて「形見にせよ」と渡しました。

いや、そんなもの渡されても……公氏も反応に困ったでしょうが、仮に内心「こんなもん(髪の毛なんて)要らねぇ」と思っても、とりあえずは大事にとっておきます。

さぁ準備万端、出かけようと思った矢先。実朝は庭先に咲く梅の花を見て、実に不吉な和歌を詠みました。

出テイナハ主ナキ宿ト成ヌトモ軒端ノ梅ヨ春ヲワスルナ

【意訳】私が出て行ってしまえば、この家の主はいなくなる。それでも軒端の梅よ、春を忘れてはいけないよ(また、咲いておくれ)。

……もう殺される気満々と言わんばかりの歌に、側近たちは何も思わなかったのでしょうか。

そして御所の門を出る時には八幡大菩薩のお使いである鳩たちがしきりに啼き騒ぎ、牛車から降りる時には太刀の先をひっかけて折ってしまうなど、もう踏んだり蹴ったり。

これでもかとばかりの不吉なできごとオンパレード。何なら実朝はあえて殺されたかった(最高のハレ舞台で人生のフィナーレを飾りたかった)のではないかと勘繰ってしまいそうです。

3ページ目 人違いで殺された源仲章

 

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