【考察】実朝暗殺の黒幕はまさか実衣(阿波局)?阿野時元の謀叛と『吾妻鏡』が書かない姉妹の対立【鎌倉殿の13人】:2ページ目
阿野時元、謀叛の経緯
未剋。二品御帳臺内。鳥飛入。申剋。駿河國飛脚參申云。阿野冠者時元〔法橋全成子。母遠江守時政女〕去十一日引率多勢。搆城郭於深山。是申賜宣旨。可管領東國之由。相企云云。
※『吾妻鏡』建保7年(1219年)2月15日条
建保7年(1219年)2月11日、実朝暗殺を知った阿野時元が本拠地の駿河国阿野荘(現:静岡県沼津市)で挙兵。山中に砦を構えて立て籠もったと言います。
「東国を管領すべきのよし、宣旨を賜わったぞ!」
恐らく味方を集めるためのホラでしょうが、このまま捨て置く訳にはいきません。
2月15日の午後14:00ごろ、鎌倉では政子の寝所に鳥が舞い込みます。不吉だと怪しんでいたところ、駿河国より飛脚が到着して時元の謀叛を報告しました。
依禪定二品之仰。右京兆被差遣金窪兵衛尉行親以下御家人等於駿河國。是爲誅戮阿野冠者也。
※『吾妻鏡』建保7年(1219年)2月19日条
「阿野冠者(時元)を追討なさい!」
政子はさっそく北条義時(演:小栗旬)に命じ、2月19日に金窪行親(かなくぼ ゆきちか。兵衛尉)らを派遣。2月22日には駿河へ到着して時元らを撃破したのでした。
發遣勇士到于駿河國安野郡。攻安野次郎。同三郎入道之處。防禦失利。時元并伴類皆悉敗北也。
※『吾妻鏡』建保7年(1219年)2月22日条酉刻駿河國飛脚參着。阿野自殺之由申之。
※『吾妻鏡』建保7年(1219年)2月23日条
敗れ去った時元らは自害して果て、翌2月23日に報告の飛脚が鎌倉へ到着。こうして時元の野望は潰えたということです。
3ページ目 政子と阿波局の姉妹対立が、時元謀叛の原因だった?