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「君主としては暗愚で精神疾患」は間違い。大正天皇の人となりに迫る

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47歳での崩御

1918年に日本が第一次世界大戦の戦勝国となると、天皇に外交的、内政的な判断が求められる場面が多くなります。しかし大正天皇は病気の影響で、勅語の音読も難しいような状況でした。

そのため大正天皇の長男である裕仁親王(昭和天皇)が摂政に任命されます。

1925年には寝たきり状態になり、1926年12月25日に心臓発作により47歳で崩御されます。

ここまでの内容からも、大正天皇は暗愚であったとか、精神疾患を患っていたとかいう俗説は誤っていることが分かります。ただ、幼少期から体調不良に悩まされていたのは間違いなく、早逝したこともあり目立った活躍がなかったことから、このような俗説が生まれたのでしょう。

ただ、誤解のもとになる行動がなかったわけでもありません。大正天皇はユーモアのある人柄だったようで、列車での移動時には一般車両に乗って客に気さくに話しかけたり、時には宿を抜け出して蕎麦屋に行ったりしたこともあるそうです。

また女性にも盛んに話しかけていたとか、書類を望遠鏡のようにして遊んでいたとか、そんなエピソードもあり、それが周囲からは一国の君主の行動としては「奇行」として見えたのかも知れません。そしてそうしたイメージが独り歩きしたのかも。

ちなみに大正天皇は、子煩悩で家族を大切にしていました。

それまでの天皇は何人もの側室を置いているのが当たり前でしたが、大正天皇は側室を置きませんでした。天皇の一夫一妻制は昭和天皇から導入されたと言われていますが、実際は大正天皇のころから始まっており、現代風の考え方を持っていた人だと分かります。

参考資料

 

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