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上品だけど胡散臭い…山中崇が演じる平賀朝雅の生涯をたどる【鎌倉殿の13人】

上品だけど胡散臭い…山中崇が演じる平賀朝雅の生涯をたどる【鎌倉殿の13人】

畠山重保との口論

故遠江左馬助僮僕等自京都歸着。去六日葬東山邊云々。又同四日。於武藏前司朝雅六角東洞院第。酒宴之間。亭主与畠山六郎有諍論之儀。然而會合之輩依宥之。無爲退散訖之由。今日風聞云々。

※『吾妻鏡』元久元年(1204年)11月20日条

【意訳】京都で病死した北条政範(まさのり。遠江左馬助、時政の子)の従者が鎌倉へ帰ってきた。遺体は11月6日に東山辺りへ埋葬したとのこと。また11月4日に酒宴の席で朝雅と畠山六郎が口論したとか。周囲のとりなしで事なきを得たとの噂を聞いた。

北条政範とは時政とりく(演:宮沢りえ。牧の方)の男児で、北条家の跡取りとして将来を嘱望されていながら11月5日に16歳で夭折。

悲しみにくれていた時政夫婦は、娘婿の朝雅に期待をかけるようになります。その朝雅にケチをつける重保への怒りをキッカケとして、畠山一族の粛清を企むのでした。

「あの野郎、そもそも目障りだったんだ!」

重保の父・畠山重忠(演:中川大志)も時政の娘婿ですが、その本拠地である武蔵国(現:東京都・埼玉県)の統治をめぐって北条と畠山の利害が対立しています。

「バカな!あれほどの忠義者を謀叛人にでっち上げるなんて、気でも触れたんですか?」

時政の計画に対して、息子の北条義時と北条時房(演:瀬戸康史)は猛反対。そりゃそうです。比企討伐に際しても重忠が味方してくれたから勝てたと言うのに、それを始末する理由が分かりません。

「つべこべ言うな、いいから討つんだ!」

「そうです。よもやあなた方は、この継母を讒者(ざんしゃ。他人を陥れる密告者)にしようと言うのですか?」

結局、勢いに負けてしまった義時たちは元久2年(1205年)6月22日、畠山重保を騙し討ちに。続いて畠山重忠も攻め滅ぼしたのでした(畠山重忠の乱)。

しかし、あまりにもあっけない最期に却って重忠らの無実が強調されてしまい、すっかり面目を喪った時政夫婦は起死回生を図ります。

「朝雅を、鎌倉殿に!」

かくして第3代将軍・源実朝(演:柿澤勇人)の排除を図るも失敗(牧氏の変)。命までは奪られなかったものの、時政は出家させられてしまったのでした。

3ページ目 時政の失脚により非業の最期

 

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