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上品だけど胡散臭い…山中崇が演じる平賀朝雅の生涯をたどる【鎌倉殿の13人】

上品だけど胡散臭い…山中崇が演じる平賀朝雅の生涯をたどる【鎌倉殿の13人】

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、北条と比企による権力抗争真っ盛りの候、皆様におかれましてはつつがなくご視聴でしょうか。

惜しまれながら退場していく者たちがいる一方で、新たな人物も続々登場。これからの活躍に期待が寄せられます。

今回はそんな一人、平賀朝雅(ひらが ともまさ)を紹介。上品だけど、胡散臭い……そんなキャラクターで山中崇さんが演じる予定とのことですが、どんな生涯をたどったのか見ていきましょう。

北条時政の娘婿として活躍

平賀朝雅は源平合戦も真っ盛りの寿永元年(1182年)に誕生。父は信濃源氏の平賀義信(よしのぶ)、母は比企尼三女(ひきのあまのさんじょ)。比企尼(演:草笛光子)の孫に当たります。

父・義信は源頼朝(演:大泉洋)の父である源義朝(よしとも)の代から忠義を尽くした累代の家人。頼朝の挙兵に際しても馳せ参じ、鎌倉政権の重鎮として存在感を示しました。

朝雅が10代~20歳前後の若さで武蔵守となったのは、そんな父の七光りがあったものと考えられます。

また頼朝の舅である北条時政(演:坂東彌十郎)の娘婿となったことで、朝雅は頼朝と義兄弟の関係に。

北条との縁が強くなる一方で、建仁2年(1202年)に母が亡くなると比企との縁は薄くなりました。建仁3年(1203年)9月に勃発した時政のクーデター「比企能員の変」では、北条義時(演:小栗旬)らと共に比企討伐の兵を出しています。

その後は鎌倉の政変に乗じて謀叛が起こることを防ぐため、京都守護職として上洛。京都と鎌倉の橋渡しとして、後鳥羽上皇(演:尾上松也)に接近しました。

元久元年(1204年)には、伊勢・伊賀国(現:三重県)で起きていた平家残党らの謀叛を4月10日から12日の3日間で鎮圧(三日平氏の乱)。その武功によって伊勢・伊賀両国の守護職に任じられます。

とまぁここまでは順調だったのですが、元久元年(1204年)11月4日に畠山六郎重保(はたけやま ろくろうしげやす)と口論を起こしてから雲行きが怪しくなっていくのでした。

2ページ目 畠山重保との口論

 

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