和歌を楽しむ豆知識:相模国にかかる枕詞「さねさし」ってどういう意味なの?
さねさし 相武(さがむ)の小野に 燃ゆる火の
火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも【意訳】かつて燃え盛る炎の中で、私の身を案じて声をかけてくれたあなたの愛情を、私は決して忘れません。
そう言って荒れ狂う海に身を投げ(自ら生贄として命を捧げ)、愛する倭建命(ヤマトタケルノミコト。日本武尊)の危機を救った弟橘比売命(オトタチバナヒメノミコト。弟橘媛)。
二人の愛情物語は悠久の歳月を経てもなお色褪せず、人々を惹きつけてやみませんが、そのお話しは又の機会に。
今回のテーマは「さねさし」。日本語らしいやわらかくやさしい響きがいい感じですが、これは一体どういう意味なんでしょうか。
調べてみると、相模国(現:神奈川県の大部分)にかかる枕詞(まくらことば。特定の単語につけてセットにするお約束フレーズ)とのこと。
なので相武国(さがむ。相模の古称)と言えば頭に「さねさし」とつけるお約束に(もちろんつけなくてもいい)。だから弟橘比売命もそう詠んだのでしょうが、お約束になっているからには何か意味があるはずです。
そこで今回は、古語「さねさし」の語源について紹介。あんまり使う機会もないと思われるものの、ちょっと知っておくと和歌が楽しくなるかも知れません。
実に素晴らしい佐斯(さし)国?
「さねさし」の語源には諸説ありますが、「さねさし」を分解すると「さね」と「さし」から構成されます。
「さね」とは実、つまり実に(=心から)素晴らしいことを意味し、「さし」とは相模国の古称である佐斯(さし)国に由来するのだとか。
佐斯国とは現代の神奈川県だけでなく、関東地方の南西部(埼玉県+東京都+神奈川県)一帯を含んでおり、それがさらに南北で北が下佐斯(しもさし⇒もさし⇒むさし。武蔵国)・南が佐斯上(さしがみ⇒さがみ。相模国)に分かれます。
なぜ北が下で南が上なのかと言うと、電車の上り下りと同じく都(畿内)に近い方が上になるのです(※江戸時代の国学者・本居宣長の説に基づく)。
これらを総合すると「実に素晴らしい佐斯の国」となりますが、佐斯国は相模国だけではないのに、どうして相模国の枕詞になったのでしょうか。
もしかしたら、実に素晴らしい佐斯国の中でも都に近い佐斯上=相模を「実に素晴らしい中でも特に素晴らしい」としたのかも知れません。
あるいは当時の人々はそこまで厳密に考えておらず、旧佐斯国に該当する地域はみんな「さねさし」を枕詞としていた可能性も考えられます。