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戦国時代のエリート武将の証!死してなお優遇された「母衣武者(ほろむしゃ)」とは?

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戦国時代の母衣武者

この傾向がますます顕著になるのが戦国時代です。鉄砲が主要武器となっていくなかで、母衣はもはや防御のためのアイテムとしては役に立たなくなり、装飾具としての役割が大きくなっていきました。

そして戦国大名たちは、戦果が期待できるような優秀な人物だけに母衣をまとわせるようになります。母衣武者は、エリートの証となったのでした。

これは大変な名誉である一方、母衣をまとう武士たちは討死を覚悟して戦場に出なければなりませんでした。何しろ目立ちますから、どのような形で狙われても不思議ではありません。

当時、母衣を着用していた武士の集団は「母衣衆」と呼ばれ、有名なものとしては織田の母衣衆があります。織田の母衣衆にはさらに「黒母衣衆」と「赤母衣衆」があり、それぞれ10名ほどで構成されていました。

かの前田利家は、このうち赤母衣衆の筆頭として活躍していたされています。今も金沢市では、「金沢百万石まつり」の中で、真っ赤な母衣をまとって母衣衆の姿を再現した姿を見ることができます。

そして、母衣武者を重んじるのは、戦国大名たちにとっても暗黙のルールだったようです。当時、母衣をつけた武士を捕えたとしても、獄門にかけるのはタブーでした。さらし首になることでその首が成仏ができないと考えられていたのです。

よって母衣武者を討ち取ると、その首は母衣で包まれて丁重に扱われました。母衣武者は死してなお、味方だけでなく敵方にも重んじられた存在だったのです。

 

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