センス最悪…鎌倉時代、とある僧侶につけられた子供たちの名前がひどすぎる件。『沙石集』より:2ページ目
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三人の子供たちのその後
信州の或(ある)山寺に上人あり。三(みつ。三人の女性)の腹に三人(みたり)の子をもてり。
初の腹の子をば、まめやかに忍々かよひければ、上人の子と云(いい)て具(ぐ)して来れども、不審に覚(おぼえ)て、名をば「思ヨラズ」とぞ付たりける。
次の腹の子をば、時には我房(わがぼう)にも忍び忍びかよひてすみければ、ひたそら疑の心もうすくして、名をば、「サモアルラム」とぞ付たりける。
後の妻は、うちたへ家に置て疑の心もなかりければ、其(その)腹の子をば「子細ナシ」とぞ、付たりける。
これは当時の事也。或人に値(会い)て自(みずから)なのりて、「此聖(このひじり)三人の子あり。しかじかと名付て候。これは「子細ナシ」が母なり」とて、妻も出て見参(げんざん)し、「思よらず」も、すこしをとなしき子にてありけるを、見たる人物語せしとなり。(以下略)
※『沙石集』巻第四「上人子持タル事」より
※原文のカタカナは読みにくいのでひらがなに直しました。
上人はある人に会ったとき「わしには三人の子がおり、それぞれ思ヨラズ・サモアルラム・子細ナシと名づけたのじゃ。で、これは子細ナシの母じゃ」と紹介しました。
親の愛をまったく感じられない名前の思ヨラズは、母親が亡くなって(あるいは捨てられて)引き取られでもしたのか、上人の元で暮らしたようです。
しかし、名前が名前なので物心ついた時にはひねくれてしまったと思われ、大人びた(をとなしき)子に成長したとか。
ちなみに、サモアルラムとその母親が登場しないのは、とんでもない名前をつけた上人に愛想を尽かしたのでしょう。賢明な判断です。
果たして三人の子供たちがどのような人生を送ったのか……せめて幸せであって欲しいと願います。
※参考文献:
- 渡邊綱也 校注『日本古典文学大系85 沙石集』岩波書店、1966年5月
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