伝説の名将・太田道灌!戦では負け知らず、築城の名人で歌まで詠んじゃう才覚に驚き:2ページ目
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「歌人」で、戦でも負け知らず
また道灌は築城にとどまらず、戦でもその才覚を発揮しました。
1471年(文明3年)、足利成氏と戦いで上杉政直が戦死します。政直は扇谷上杉家の当主ですが、跡継ぎを残していませんでした。そこで道灌が懸念したのは、「跡目争いが起きるのではないか」ということでした。
そこで、彼は新当主として叔父を擁立し、跡目争いによって扇谷上杉家が分裂・崩壊するのを未然に防いでいます。
足利成氏と上杉一族との争いは、約30年も続きましたが、このとても長い戦乱の中で、道灌は30回以上も出陣しました。その中で彼は数々の武勲をあげており、負け知らずの名将としてその名前を轟かせています。
また、道灌には文化人としての才能もあり、歌人としても活動していました。
彼が歌の道に進むきっかけとなった理由が、逸話として語り継がれています。
ある時彼は、突然の雨に遭遇して、ある農家に蓑を貸してほしいと頼みました。しかし、差し出されたのが蓑ではなく山吹の枝だったため、道灌は困惑し、立腹します。
後日その話を家臣にしたところ、山吹の枝は歌にちなんでおり、蓑も貸せない申し訳なさを枝に込めたのだと知った道灌は、気づけなかったことを恥じ、歌を学ぶようになったそうです。人柄が伝わってくる逸話ですね。
太田道灌という人が、武将というだけではなく実は城などを建築する名人だったことが分かりましたね。
彼の実績はやや伝説めいた部分もあるものの、実はすごい人だったのです。
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