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江戸時代の参勤交代制度の“真の目的“とは?「各藩の経済力を削ぐため」は俗説で40年前に否定されていた【後編】

江戸時代の参勤交代制度の“真の目的“とは?「各藩の経済力を削ぐため」は俗説で40年前に否定されていた【後編】

華美で豪奢になっていく参勤交代

【前編】では、参勤交代という制度が「幕府に逆らえないように各藩の経済を疲弊させるため」を目的としたものではなかったことを説明しました。

江戸時代の参勤交代制度の“真の目的“とは?「各藩の経済力を削ぐため」は俗説で40年前に否定されていた【前編】

各藩の経済疲弊が目的…ではない江戸時代に行われていた参勤交代について、皆さんは学校でどのように習いましたか? ネットでの解説などを読んで、その「真の目的」について学んだという人も多いかも知れません…

また、それは最近になってポッと出てきた学説ではなく、少なくとも40年前には有力な学説として挙げられていたことも見てきました。

では、なぜ参勤交代という制度は生まれたのでしょうか。

そもそも、家臣が主のもとに出仕することは、徳川幕府の時代よりはるか前からあった儀礼でした。

【前編】でご紹介した通り、徳川家光が「最近は参勤交代の人数が多い」と指摘していることから、以前から参勤があったことが分かります。その、もともとあった慣例を家光は制度化したわけです。

しかし大名たちは、参勤交代を行う際には大勢の人を雇い、城下町を出るまでは立派な服装に着替えるのが常でした。そうして領民たちに威容を示していたのです。

そして町外れで解散すると、供回りの者たちは旅をしやすい服装に替えて小規模な行列に改めて江戸に向かいます。

そうして、江戸に入る前にまた人を雇って行列の威容を調えたといいます。

将軍のいる都・江戸の庶民にみすぼらしい姿は見せられないということだったのでしょう。

こうして、参勤交代は各大名家の権威を示したり家同士の見栄を張り合ったりするイベントになってしまい、大名家の財政支出を必要以上に膨らませる結果になりました。

家光はそれに危機感を持ったわけです。

2ページ目 昔ながらの慣習

 

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