日常的に着物を着ていた日本人が何故洋服を着るようになったのか、明治時代の「引札見本帖」に探る【前編】
もう春ですね、皆さんも新しい春の服が欲しいと思い始める時期ではないでしょうか。
日本人はもともと長い間“和服”を着て生活してきました。しかし今は“洋服”を着るのが普通であり、着物などの“和服”を着るのは特別な時でしょう。
日本人の着るものが、和服から洋服へと変遷していく黎明期を『引札見本帖』を参考にご紹介します。
引札見本帖とは
「引札(ひきふだ)」とは江戸・明治・大正時代初期まで、あらゆる商売をするお店が宣伝をするために作った“広告チラシ”のことです。
簡単迅速に“引札”を作る方法として『引札見本帖』という便利なものがありました。上掲の絵が見本帖の表紙です。
例えばその見本帖から上の絵柄を選んだとします。左側に空白がありますね。そこに宣伝文句などを書き込むのです。そうすると・・・。
少し絵柄が違いますがそこは雰囲気で感じ取っていただいて、左側の空間に広告主が入れたい文言を書いて“引札”という広告チラシを作ったのです。上掲の引札は商店の広告として作られたものですね。
ちなみに上記の淡谷呉服店は明治から大正期における青森市の豪商であり、昭和の大歌手・淡谷のり子さんのご実家でもあります。
このように引札は広告として現代と同じように、その当時の最先端のものやファッションなど人々が憧れる対象が描かれています。
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