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日常的に着物を着ていた日本人が何故洋服を着るようになったのか、明治時代の「引札見本帖」に探る【前編】

日常的に着物を着ていた日本人が何故洋服を着るようになったのか、明治時代の「引札見本帖」に探る【前編】:2ページ目

明治時代という日本の大きな歴史変革

江戸時代、日本は鎖国制度により外国との交渉をごく一部の人間だけに限定し、日本人は海外の情勢をほとんど知らずに日本の今までの歴史の流れに準じて暮らしていました。

しかし鎖国制度を廃止して日本はまずアメリカと“日米修好通商条約”を結び、日本の5か所の港にアメリカの船が出入りし、貿易をすることを認めました。
しかしこの条約は「治外法権」「関税自主権がない」といった不平等条約でした。

明治10年代後半、日本は“欧化政策”の推進に必死で取り組んでいました。不平等条約の改正を実現するためには、日本が欧米並みの文明国であることを示す必要があったからです。

 

日本は“鹿鳴館”を建設し、同館落成の1883年(明治16年)より各国の外交官を招待して連日にわたり舞踏会を開き外国との交渉に励みました。もちろん、そこには招待者側の日本政府の高官も、婦人同伴で参加したのです。

 

 

彼女たちには、国家的な使命が課せられていました。

洋服を着こなすのはもちろんのこと、マナーやエチケットをわきまえ、洋服を着こなし踊ることで、日本の文明の高さを証明しなければならなかったのです。

これが、初めて日本人が洋服を着るようになったきっかけなのです。

次回の【中編】に続きます。

 

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