日本の海賊「倭寇(わこう)」とは何者だったのか?その正体と対策の歴史をたどる:3ページ目
ニュータイプ倭寇は日本と無関係!?
このニュータイプの倭寇は台湾などの南方面で活動する集団で、その構成員も、日本人ではなく中国(当時の明)の人々でした。「倭寇」と言っても、日本とは関係のない人々です。
当時、明は正式な手続きを経た一部の商船との貿易だけを認めていました。
このため、多くの人々が貿易の道を閉ざされる形になってしまいます。そこで活発になったのが、明と貿易をしている東南アジアの国々を中継し、間接的に明と貿易する中継貿易でした。
こうして、南方面で商船が頻繁に行き来するようになったため、それを狙った略奪行為が行われるようになったのです。それが後期倭寇と呼ばれる新しい倭寇です。
しかし、16世紀後半になるとスペインやポルトガルの商人(南蛮商人)たちが東アジア地域に進出してきて、状況が一変しました。南蛮商人たちの圧倒的な武力と財力に押され、倭寇も弱体化していったのです。
加えて、日本でも戦国時代の争乱が次第に治まり、豊臣秀吉による全国統一が進んでいきます。1588年には、秀吉は海賊停止令(海賊取締令)を出して倭寇の取り締まりを西国大名に命じています。
また秀吉は朱印船貿易による貿易統制も実施しており、この方針は江戸幕府にも引き継がれていきます。
こうして16~17世紀になると倭寇は衰退して姿を消していき、東アジア海域は朱印船や明船、ポルトガル船が活発に行き来するようになりました。
しかし、ならず者を完全に撲滅するのは難しく、今度は中国人の海賊やオランダ船が、そうした貿易船を襲撃するようになったそうです。
「倭寇」とひと口に言っても、200年ほどの歴史の中で活発化したり衰退したり、全く違う形で復活したりしていたことが分かります。
参考資料