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源頼朝の先祖と死闘を演じた藤原経清(奥州藤原氏祖)の壮絶な生涯【その3】

源頼朝の先祖と死闘を演じた藤原経清(奥州藤原氏祖)の壮絶な生涯【その3】:2ページ目

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2022/03/01

九死に一生を得た頼義と義家

経清は、安倍軍の強靭さと兵力が歴戦の頼義軍にも勝ること、さらに雪上での戦いに慣れているという判断から、野戦を行うことを貞任に進言します。戦いは吹雪が吹き荒れる極寒の中で行われました。安倍軍は、地の利も活かし頼義軍を圧倒します。戦いが進むにつれ、頼義麾下の部将たちが次々と討ち取られていきました。

国府軍は数百の戦死者を出し、壊滅的な敗北を喫したのです。そして、乱戦の中、頼義討死の誤報が流れるほどでしたが、嫡男義家が奮闘し窮地を脱出しました。

しかし、貞任と経清は敗走する国府軍を執拗に追いつめます。そして、ついに雪原を彷徨う頼義・義家父子とわずか6騎にまで減った郎党たちを包囲したのです。ここに頼義の命運は極まったかに見えましたが、貞任と経清は彼らにとどめを刺しませんでした。

経清:見よ貞任、我らはついに頼義を捉えたぞ。だがここまで追い詰めれば十分だろう。この場は見逃してやろうぞ。

二人の目的は頼義を陸奥から追い出すことにあったのです。もし、勢いに乗じて、国司兼鎮守府将軍である頼義の命を奪うことになれば、完全な朝廷への反逆になります。敗戦の痛手で、頼義にはしばらくの間、安倍氏と事を構える余裕がないだろうとの判断もあったのでしょう。

実際、命からがら多賀城へ帰り着いた頼義は、朝廷からの援軍も期待できず、安倍氏の動静を見守るしかない状況に追い込まれていたのです。

ただ、貞任・経清もそんな頼義の状況に安堵していたわけではありません。頼義は必ず巻き返しを図ってくるに違いない。その時のために軍備を整える必要がありました。

経清:頼義はこれに懲りず、必ず戦を仕掛けてくるに違いない。我らはそれに備えることこそ肝要ぞ。

貞任は、奥六郡以南に勢力を伸ばします。経清は朝廷の赤符を無視し、独自の白符を発行し税の徴収を行います。こうした貞任や経清の動向を、彼らの驕りとか横暴さと捉える向きが多いようです。しかし、源頼義を相手にするからには、常に国府が動員できる兵を上回る戦力を維持する必要があり、そのための経済活動であったと考える方が妥当ではないでしょうか。

3ページ目 清原氏の援軍に活路を見い出した頼義

 

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