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数度の津波から多くの命を救った浜口梧陵の実話「稲むらの火」について紹介

数度の津波から多くの命を救った浜口梧陵の実話「稲むらの火」について紹介

地震や津波は、技術の進歩した現代でも多くの死傷者が出る恐ろしい災害のひとつです。

しかし、いまから150年以上も前の1854年に発生した大地震による津波から、多くの人々を救った人物がいました。

多くの命を救った実話として現代でも語り継がれている「稲むらの火」から、ヤマサ醤油・七代目当主「浜口梧陵」の活躍について紹介したいと思います。

浜口梧陵とは

濱口梧陵は「稲むらの火」に登場する主人公で、実在した人物です。

現在の和歌山県 広川町である「広村」で分家・濱口七右衛門の長男として生まれます。12歳の時に本家の養子となり、ヤマサ醤油の事業を継いで、のちに七代目当主となる人物です。

稲むらの火

江戸時代幕末にあたる1854年、安政南海地震による大津波が広村を襲いました。

このとき、実家に帰省中であった浜口梧陵という男性が、自身の保有していた稲を束にして集めた「稲むら」に火をつけ、暗やみの中で逃げおくれていた村人を安全な高台へと導いたのです。

村人が高台に登り切った直後、広村には津波が押し寄せ、村は全壊。多くの村人が命を救われることとなったものの、村人たちは住処を失ってしまいます。

そのため梧陵は、自身の財産を投じて村人たちのために住まいを建て、堤防をつくるなど村の復興に力を注いだのです。

堤防が救った100年後の命

浜口の決意に感銘を受けた広村の人々は、畑や漁をおこなう傍ら堤防づくりに尽力。4年という歳月をかけ、大きくしっかりとした堤防を築き上げたのです。

この堤防は「広村堤防」と呼ばれ、大正時代の1923年に起きた地震では津波を押し返しています。また、堤防完成から約100年後の1946年に発生し、中部から九州地方にかけて甚大な被害を出した昭和南海地震でも被害を浸水程度にとどめて広村を守りました。

2ページ目 防災意識を高める「稲むらの火」

 

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