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江戸最大の深川岡場所の花街に生きた「辰巳芸者」という“いき”のいい女たち【前編】

江戸最大の深川岡場所の花街に生きた「辰巳芸者」という“いき”のいい女たち【前編】

皆さんは“芸者”というとどんなイメージを思い浮かべますか?

着物を着て宴会などで三味線や歌を唄ったり、お酌したりという姿を思い浮かべるのではないでしょうか。

ところが、“芸者”と言ってもその人達が根付く土地柄によって、色々な芸者さんがいたのです。今回は「辰巳芸者」と呼ばれる人たちについてご紹介します。

風俗三十二相 さむそう 天保年間 深川仲町芸者風俗

 

上掲の浮世絵に描かれている女性はタイトルにあるとおり“深川仲町の芸者”さんです。

傘の上には雪が積もっています。だいぶ長い間外に立っていたのでしょう。すると突風が吹いたのか、傘の雪も滑り落ちるという“さむそう”な情景で、しかも後述しますが足元は下駄に素足です。

しかし女性の表情を見ると嫌な顔もせずに“ちょっと困ったな”というような明るい表情で、こんな状況にある自分に笑ってしまっているような温かい人柄を忍ばせます。

深川は江戸の辰巳の方向にあり、深川芸者は「辰巳芸者」と呼ばれていました。つまりこの絵の女性は「辰巳芸者」の一人なのです。

江戸時代、“深川”は縦横に走る河川を利用しての木材・倉庫業、米・油問屋の町として栄えていました。商人同士の会合や接待の場として、深川八幡宮(富岡八幡宮の通称)を中心に“平清”や“二軒茶屋”といった高級料理茶屋などの多くの料理茶屋が賑わいました。

江戸の中心からは遠い深川は水路に囲まれているので、直接舟を着けることが出来る茶屋も多く便利だったのです。

そして座を盛り上げるための“芸者”も多く集まり住むようになりました。

2ページ目 辰巳芸者の始祖

 

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