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織田信長をも苦しめた戦国最強の鉄砲傭兵・地侍集団「雑賀衆(さいかしゅう)」とは?

織田信長をも苦しめた戦国最強の鉄砲傭兵・地侍集団「雑賀衆(さいかしゅう)」とは?

みなさんは、雑賀衆という単語を耳にしたことがありますか?読み方は、「さいかしゅう」。

中世日本で活躍した、鉄砲傭兵・地侍のグループです。あまりその存在を知られていない雑賀衆ですが、実はかの織田信長をも苦しめた最強集団だったのです。

そこで、今回の記事では、そんな雑賀衆についてご紹介したいと思います。

雑賀衆とは?

合戦の多かった戦国時代。紀州北西部を拠点に活躍した鉄砲集団です。その実力は日本一とうたわれました。そんな最強集団を率いたのは、「雑賀孫市[まごいち](または鈴木 孫一)」という人物でした。彼は、地域の有力者であり、侍集団を率いた武将でもありました。

彼は、かの司馬遼太郎からも豪傑な人物として愛され、行動力だけでなく、たしかな人望もあったといわれています。

そんな彼が率いた雑賀衆は、5つの地域(「雑賀荘」「十ヶ郷」「中郷(中川郷)」「南郷(三上郷)」「宮郷(社家郷)」)の地侍からなり、「紀州惣国」や「雑賀惣国」などとも呼ばれました。

雑賀衆と鉄砲

ちょうど鉄砲が伝来したタイミングになると、それをいち早く取り入れ、16世紀なかごろには優秀な鉄砲集団へと成長しました。

当時、どのように鉄砲を一定量用意できたのかは明らかになっていませんが、鉄砲の材料となる硝石が雑賀はもとより日本国内でも生産されていなかったことから、外国から輸入したのではないかと言われています。

これについても、雑賀衆は海運を営んでいたことから、簡単に手に入れることができたのではないかと考えられています。

2ページ目 織田信長を苦しめた雑賀衆

 

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