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ただの尊王攘夷派ではない?幕末の志士・武市瑞山が結成した「土佐勤王党」が特異だった理由

ただの尊王攘夷派ではない?幕末の志士・武市瑞山が結成した「土佐勤王党」が特異だった理由

みなさんは、「土佐勤王党(とさきんのうとう)」という結社について耳にしたことがありますか?

幕末の歴史がお好きな方であればご存じかもしれませんが、なかなかその存在はしられていませんよね。

そこで、今回の記事では、そんな「土佐勤王党(とさきんのうとう)」について、特に、他の尊王攘夷派と異なる点に焦点を当ててご紹介したいと思います!

「土佐勤王党(とさきんのうとう)」ってなに?

「土佐勤王党」は、幕末において、土佐藩で尊王攘夷思想(そんのうじょうい:、君主を尊び、外敵を斥けようとする思想)を掲げて作られた結社のことを指します。

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ほかにも、土佐勤皇党や土佐勤王派などと表記されることもありますが、この記事では、「土佐勤王党」で統一してご紹介します。「土佐勤王党」は、文久元年(1861年)8月に、武市瑞山(たけち・ずいさん。通称は武市半平太(たけち・はんぺいた))によって結成されました。

身分を超えた新しい時代を作ろう、という彼の決意のもと結成された「土佐勤王党」には、下級武士や郷士・農民など下士層を中心に190人ほどが参加。

なかでも、武市瑞山、坂本龍馬、中岡慎太郎、吉村虎太郎は土佐勤王党の四天王と呼ばれました。

「土佐勤王党」と坂本龍馬

「土佐勤王党」に最初から参加していた坂本龍馬ですが、武市瑞山と考えが合わず途中で脱退します。しかし、脱藩者であっても、その後も党員同志の交流は続いていたとされています。

ちなみに、武市瑞山はのちに坂本龍馬について、「龍馬は土佐の国にはあだたぬ(収まりきらぬ)奴」だと語ったことは有名な話となっています。

2ページ目 「土佐勤王党」が他の尊王攘夷派と異なる点

 

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