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大河ドラマ「青天を衝け」にも登場する大司法家! 近代司法の確立に尽力した初代大審院長・玉乃世履の生涯

大河ドラマ「青天を衝け」にも登場する大司法家! ボアソナード草案の審査委員も務め、近代司法の確立に尽力した、初代大審院長・玉乃世履の生涯:3ページ目

るろうに剣心のモデル・河上彦斎の助命を試みる

明治41871)年12月、日本橋の小伝馬町牢屋敷で、人斬りとして名高い河上彦斎が斬首されました。

当時、河上には参議・広沢真臣(長州藩出身)の暗殺容疑がかかっていました。

しかし実際は広沢は別人に暗殺されたようです。あくまで河上を始末するために理由づけがなされただけでした。

世履は広沢事件の捜査にも関わっており、河上が無実だと感じていたようです。

河上は強硬な攘夷論者でした。

かつては長州藩に協力し、討幕運動にも従っています。

しかし明治維新後、新政府が開国政策に転じたことに激怒。三条実美や木戸孝允など要人に危険分子として警戒されるようになります。

木戸は欧米視察の前に世履に言いました。

「彦斎を放置すれば必ず、国家に害をなす」と断言。さらに「私が帰国するまでに始末しておけ」と命じていました。

しかし世履は、かつての同志である河上を断罪することに忍びなさを感じていました。

実際に世履は彦斎に面会して説得を試みています。

そこで世履は時勢が変わったことと、新政府への協力を要請。しかし彦斎は従いません。

彦斎は世履に心遣いへの謝意を示しつつ、新政府を糾弾します。

「時勢が一変したのではない。政府の諸君が自己の安逸を願って尊攘の志を捨て「時勢が変わった」というのである」

やむなく世履は彦斎の助命を諦めています。

 

明治の七難件を解決する

世履は政府内で司法官として活躍の場を広げていきます。

明治61873)年、世履は「明治の七難件」と呼ばれる案件を解決しています。

これは当時、イギリス商人が維新期に旧藩などと取引で生じた債権支払いを、新政府に求めた訴訟でした。

決着のつかない七案件は、まとめて仲裁手続きに付されます。

世履は日本側の仲裁委員となり、イギリス側の仲裁委員ハンネンと協力。

多数の証人尋問を集中的に実施するなどの審理を行い、9ヶ月と言う短期間で仲裁裁断を下しました。

結果、世履の名は政府だけでなく外国商社の間にも高まります。

 

ボアソナードと共に拷問禁止への働きかけを行う

明治81875)年4月、大審院(最高裁判所)が設置されました。

世履も裁判官の一人として、日本の近代司法の確立に向けて動いてえます。

このとき、政府の法律顧問であるフランス人法律家・ボアソナードが来日していました。

同月、ボアソナードは法学校の講義に行く途中で裁判所の中から悲鳴を聞いています。不審に思ったボアソナードが法廷に入ると、容疑者が石抱の拷問を加えられて尋問されていました。

ボアソナードは拷問をやめさせるように世履に哀訴。世履は司法卿・大木喬任に面会して抗議し、拷問廃止の理由書を提出に立ち会っています。

世履には、人の意見に耳を傾ける寛容さと司法への問題意識がありました。

以降も世履はボアソナードと関わり、のちにボアソナードの起草した治罪法の原案の審査委員を務めるなど、深く関わっています。

4ページ目 初代大審院長となる

 

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