筆者の場合は例えば “カナカナカナ・・・”というヒグラシ(秋蜩)という蝉の鳴き声だったり、“リリリリリリリリリ”というコウロギの虫の声が聞こえてくると、『ああ、夏がもう終わってしまう』と感傷的な気分になります。
ところが、外国人には“虫の声”は聞こえないという話を聞きました。聞こえない?聞こえないってどういうこと?
前編の内容については以下をご覧下さい。
虫の声は日本人にしか聞こえない!?日本人と世界の人々の虫の声の聞こえ方について【前編】
日本人には昔から虫の声に風情や情緒を感じていた
昔から日本人は四季の流れの中で「虫の声」を聞いて生きてきました。たとえば人生を50年とするならば50回は虫の音がする季節を生きてきたのです。
それはおのずから文芸作品の中にも題材として取り上げられてきました。
■和歌・随筆
日本最古の歌集『万葉集』には、天皇や貴族から大道芸人、農民など幅広い階級の人たちの和歌が収められています。「虫の鳴き声」について詠われている和歌としては、
‘影草の生いたる野外(やど)の夕影に なく蟋蟀(こおろぎ)は聞けど飽かぬも’
という和歌があり、他にもいくつか“虫の声”を題材にしたものがあります。
平安時代には清少納言によって書かれた『枕草子』の「虫は」という章で
‘虫は鈴虫。ひぐらし。蝶。松虫。きりぎりす。はたおり’
というように鳴く虫が挙げられています。
■俳句
俳句で言えば、“松尾芭蕉”の句に虫の声の名作があります。
‘閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声’
(なんと静かなのだろう。石にしみ入るように蝉が鳴いている)
この句の意味は、日本人にしか理解できないのではないかというのは筆者の穿った見方でしょうか。
このように日本では太古の昔から「虫の声」が愛され日常生活に溶け込んでいました。
(余談ですが上掲の浮世絵『三日月の頃より待し今宵哉』の一番左のおじいさん、役者の左卜全さんにそっくりじゃありませんか?初めて見たとき驚きました)
■行事など
平安時代には貴族が京の野に遊び、マツムシやスズムシを捕らえてかごに入れて宮中に献上する「虫選び」や、捕らえた虫を庭に放して声を楽しむ「野放ち」などのが盛んに行われました。
上掲の浮世絵のタイトルは「道灌山虫聞之図」です。
この“道灌山”は山手台地の最高地点にあり、ここからの眺めはとても良かったようです。江戸時代には虫聴きの名所として知られ、秋になると人々は月が昇り始める頃、お酒やちょっとした食べ物などを持ち寄り、月を眺め、虫の声を楽しんでいたのです。