煉獄さんが食べてた”牛鍋”も!明治時代に誕生した新しい食文化たち
文明開化を象徴するものの一つに、西洋から新しく入ってきた食文化がありました。今ではおマジみのものばかりですが、当時は驚くほど新鮮だったに違いありません。
明治に誕生した食文化の一例を見ていきたいと思います。
牛鍋
無限列車でも煉獄さんが食べていた牛鍋弁当。
現在のすき焼きに近い食べ物だそうですが、関東では「牛鍋」関西では「すき焼き」と呼んでいたそうです。
牛鍋は食肉文化が一般的になった明治時代に広まり、「文明開化の味」ともてはやされました。
幕末には味噌仕立ての鍋でしたが、明治になってから現在のような醤油味が主流になりました。
明治の初めの牛鍋は牛肉とネギを使った鍋料理全般を指し、味付けや他の具材などはまちまちだったそうです。
明治4年、仮名垣魯文は著書『安愚楽鍋』で「士農工商老若男女賢愚貧福おしなべて、牛鍋食わねば開化不進奴(ひらけぬやつ)」と表現していたくらいなので、面白いですね。
洋食
洋食は、もともとは幕末から明治にかけて、日本に住む外国人のための西洋料理店が発祥でした。そうした店で働いていた日本の料理人たちは、のちに自分の店を開き、洋食を広めていきます。
江戸時代までの日本では肉食が一般的ではなく、肉を主体とする西洋料理には大きな抵抗がありました。
しかし、明治政府が国民の体格向上のため肉食を奨励したり、明治天皇の食肉や毎日牛乳を飲むといった新聞報道などもあり、庶民のあいだでも牛鍋など徐々に肉食が始まり、洋食への抵抗も薄れていきます。
しかし明治時代の日本で西洋料理の食材を完全に揃えることは難しく、代用品が使われることもありました。
また、日本人向けにアレンジが加えられることもあり、そうして生まれた日本的な洋食の代表が、ポークカツレツ、カレーライス、コロッケ、カキフライ、エビフライ、オムライスなどです。
牛乳
江戸時代以前も、日本国内で牛乳が飲まれることはあったものの、一般的ではありませんでした。
明治4年、天皇陛下が毎日牛乳を飲んでいると新聞で報道され、牛乳を飲む習慣は一般に広まっていきました。
最初は柄杓で秤り売りされていましたが、その後、ブリキ缶容器隣、明治30年代にはガラス瓶で販売されるようになりました。