埋葬禁止は誤解だった?幕末、戊辰戦争に散った会津藩士の埋葬を命じる史料が発見!:2ページ目
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いえ、そういう訳ではなく、実際には遺体が膨大なため埋葬作業が間に合わず、年を越しても野ざらしのままだった遺体も残念ながらあったのでしょう。
(もちろん、会津の人々も自前で遺体を埋葬したでしょうが、それでも他の遺体を見て「あれは見せしめとして、埋葬を禁じられたのだ」など誤解した可能性も考えられます)
ただ、決してそれは上野戦争(新政府軍と彰義隊との戦闘)で行われたような意図的な遺体の放置(遺体の回収に敵をおびき出すための罠)ではなく、人心を慰撫するべく(何よりも伝染病の予防に)埋葬を急いだものの、数が多すぎて手が回らなかったのでした。
また、既に埋葬されていた者たち(遺体)が翌年に改葬(きちんと葬り直すこと)されている様子を見て「あれはきっと、今までずっと放置されていたに違いない」と誤解した可能性も指摘されています(野口信一氏)。
今なお根強いと言われる「会津の怨み」。その原因は他にもたくさんあるようですが、それが誤解であるなら解けるに越したことはなく、一日も早く日本国民の誰もが真に打ち解け合えることを願ってやみません。
※参考文献:
日本史の謎検証委員会 編『幕末通説のウソ』彩図社、2019年3月
野口信一『会津戊辰戦死者埋葬の虚と実』歴史春秋出版、2017年11月
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