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一揆、流罪、毒殺未遂…歌舞伎や講談の題材にもなっている「加賀騒動」の実態

一揆、流罪、毒殺未遂…歌舞伎や講談の題材にもなっている「加賀騒動」の実態

みなさんは、加賀騒動(かがそうどう)という出来事を聞いたことがありますか?

江戸時代に加賀藩という大きな藩で起きた騒動で、伊達騒動黒田騒動、または仙石騒動とともに江戸時代の「三大お家騒動」と呼ばれます。

この記事では、加賀騒動について、騒動の背景などをご紹介します!

加賀騒動はなぜ起きた?

加賀騒動は、江戸時代に加賀藩で発生したお家騒動です。前田氏がおさめていた加賀藩は、「加賀百万石」とも言われるほどの大きな大名家。しかし、加賀藩主 前田綱紀(まえだつなのり)が行った文化政策などで出費が増えるなど、藩の財政状況は悪化していました。

ちなみに、前田綱紀は「ぜいたく大名」とも呼ばれていました。そして、彼の子である吉徳(よしのり)に寵愛されていたのが、この騒動の中心となる、大槻朝元(おおつきとももと)です。

彼は体調の悪かった吉徳に代わり、様々な財政政策を行いました。

しかし、西日本を中心に、享保17年(1732年)に起きた虫害で加賀藩もダメージを受けました。そして、農民への対策が不十分だったことで、農民たちの一揆が発生しました。このような事情により、大槻朝元への非難が強まっていきました。

2ページ目 加賀騒動の実態

 

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