小原古邨(おはらこそん)は1877年(明治10年)に金沢に生を受けた日本画家・木版画の下絵師です。
あぁ美しい…。高評価から作品の多くが海外に、明治時代の絵師・小原古邨の美しき世界
東京美術学校、東京帝国大学の講師をしていたアメリカ人美術、哲学家のアーネスト・フェノロサの指導のもとに、花鳥画への造詣を深めていきます。
1899年(明治32年)には、フェノロサと出版社主催による、ニューヨークでの展覧会で、古邨作品が紹介され、主に海外への作品を描くこととなります。
クリムトなども小原古邨の作品のファンだったと言われています。
蓮の花と雀
小原古邨の画方は‘新版画’という画法で描かれています。
彼の下絵は、江戸時代の浮世絵のように、版下 (浮世絵)の輪郭線だけを描き、それに色指定をするのではなく、日本画の本画同様、絹地に着彩したもので、それを湿板写真で撮影し、現像後、乳剤面をガラス板から剥がし、それを版木に貼って彫り出した。
ウィキペディアより
しかし画法こそ違え、小原古邨の絵は従来の浮世絵を踏襲したものであると言えます。
それは自分の書きたいものを中心に描き、他の背景などの余計なものは描かれてはいません。描かれているのは蓮の花、その蓮の葉から落ちこぼれるしずく、そして雀というありのままの自然を描写しているのみです。
蓮の花そして蛙とおたまじゃくし
上掲の作品を見ると、今にも咲かんとする蓮の花、そして開花している蓮の花があります。
そしてその生命を同居するように、おたまじゃくし、そしてその‘おたまじゃくし’から成長して、蛙になった成長の姿が、蓮の葉に登ろうとしています。
そして朽ちんとする蓮の葉が描かれているのです。
つまりこの一枚の絵の中に、生まれ成長し、そして死んでいくという生物の姿が書き込まれているのです。