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日本史上で有名な男色・衆道の例をご紹介!有名人から意外な人物まで

日本史上で有名な男色・衆道の例をご紹介!有名人から意外な人物まで

アツイ男・伊達政宗

「独眼竜」の名で有名な伊達政宗。戦国末期に活躍した、評価の高い戦国武将ですが、そんな彼にも男色の相手がいたといいます。お相手は、片倉重長。この二人には、大坂の陣出陣前の逸話が残っています。重長にとって初陣となる大坂の陣でしたが、彼は片倉の名を汚さないように先陣をきらせてほしいと政宗に頼み込んだのだそうです。そして、それに対して政宗は、「お前以外の誰にも先陣をやらせない」と涙を流しながら承諾したそうです。

大奥誕生のきっかけを作った?徳川家光

江戸幕府三代将軍・徳川家光は、元服前の苦い経験から、女性を受け付けなくなってしまったことがあったそうです。しかし、将軍に取って子孫を残すことは大事な仕事。そんな家光を心配して、時の権力者・春日局は、家光の側室に小姓姿をさせたりして、彼の気を引こうとしたといわれています。

3代将軍・徳川家光の男色がきっかけ!?江戸時代の大奥が巨大ハーレム化した驚きの理由

今なお時代劇などで多く映像化され、人々の心をとらえ続ける「大奥」。私たちがよく知っているのは将軍専用の巨大ハーレムとして厳格に整備された大奥ですが、もともとは将軍の家族の居住地としての役割のみで、家康…

いかがでしたか?

今回は、日本の歴史上の人物で、男色関係があったと言われている例をご紹介しました。

ただし、武士の場合、主君と家臣という忠義のかたちとしての男色もあり、そこには、後世になって「寝所に一緒にいたのだからそういう関係なのだ」と拡大解釈されたと思われる場合もあるため、一概に「男色があった」と言い切れない部分もあります。

ご興味を持った方は、ぜひ、ご自身でも調べてみてくださいね。

 

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