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「三矢の教え」はフィクションだった?戦国大名・毛利元就が息子たちに遺した教訓とは

「三矢の教え」はフィクションだった?戦国大名・毛利元就が息子たちに遺した教訓とは

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隆元、元春、隆景へ、これを進ぜ候。右馬(右馬頭)元就より。

尚々(なおなお。追伸)、言い忘れていたことを繰り返すが、この手紙には誤字脱字などあろうが、文脈で意図を酌みとるのじゃぞ。

一、これまで何度も言っている通り、毛利の御家を末代まで廃らせぬよう、わしや先祖代々の精神を受け継いでいってほしい。

一、元春と隆景は、それぞれ他家を相続したが、あくまでも毛利家を支える使命を忘れるでないぞ。

一、何度強調してもし足りないのは、もしお前たち三兄弟が仲違いするようであれば、三人そろって共倒れは免れぬぞ。これまで毛利家は多くの大名らを滅ぼして怨みを買っており、三人の誰も洩れぬよう力を合わせねば、とうてい立ちいかぬぞ。

一、隆元は、元春と隆景の補佐を得て政治をおこなうように。また元春と隆景も毛利家を第一に考えて補佐するように。毛利家が弱体化すれば、家臣たちが心変わりせぬとも限らぬ。

一、この前も申したが、隆元は長男だから、弟たちが不満を言っても、父のような度量で受け止めねばならぬ。逆に元春と隆景は他家を継いだのだから、福原や桂など他の家臣たちと同じく(兄ではなく、主君とけじめをつけて)隆元に従わねばならぬぞ。まぁ、内心不満なのは解らんでもないがの。

一、この教えをみんなが守れば、毛利・吉川・小早川の三家は末永く栄えるだろうが、先の事はわからん。ならば、せめてお前たちだけでも教えを守って欲しいところだが、さもなくばことごとく滅び去ることとなろう。

一、何はなくとも、亡き母・妙玖(元就の正室)や一族ご先祖様への供養をねんごろに致せよ。

一、五龍城主の宍戸(ししど)家へ嫁いでいった愛娘の五もじ(通称:五龍の方)が不憫でならぬ。お前たちもこれまで通り、あの娘を気にかけてやって欲しい。もしぞんざいにしたら、わしはそなたらを怨むぞよ。

※五もじ(五龍の方)についてはこちら。

ラスボス感ハンパない!色んな意味で強かった?毛利元就の愛娘・五龍姫の生涯

古来「名は体(たい)を表す」とはよく言ったもので、名前はその対象をよく表し、またそうなるように影響しやすいものです(※中には「名前負け」という例外もありますが)。今回紹介したいのは中国地方を代…

一、今、虫けらのように小さな息子たち(元就の四男以下)がいるが、もしまともな人材に成長したら、どこか遠いところでいいから領地を与えてやって欲しい。もしおバカ(原文:ひやうろく無力)であったら、好きにして構わぬ。何はともあれ、お前たち三兄弟と五龍だけは仲良しであって欲しい。さくなくば、最大級の親不孝と心得よ。

一、わしはこれまで、意外と多くの者を殺しており、そのことについて必ず因果応報を逃れまいと内心で後悔しておる。じゃからお前たちも、無闇に人を殺すのは慎むのがよいぞ。この因果が、わしの生きている内に巡って清算できれば、お前たちに迷惑が及ばんのじゃが……。

一、わしは20歳の時に兄・毛利興元(おきもと)と死に別れてより、40数年もの間、波乱に満ちた歳月を送って来た。数々の戦さで多くの者が討死したが、わし一人すべり抜けるように生き残り、実に不思議に思っている。我が身を振り返ってみると、特に心がけが良かった訳でもなく、屈強な身体を持っていた訳でもなく、才覚にすぐれていたでもなく、また神仏のご加護をたまわるほどの正直者でもなく、これと言った取り柄もないのに、このようにすべり抜けられたのはどうしてなのか、自分でも推し量れない。今は早く心安らかな余生を送り、来世の幸せを祈りたいところだが、現状を顧みればそうもいかないのぅ……。

一、わしが11歳の時、家臣の井上河内守元兼(いのうえ かわちのかみ もとかね)のところへ旅の僧侶が念仏の講義に来たので、継母と一緒に教わったのじゃが、以来ずっと朝日を拝みながら念仏を唱える習慣を続けておる。念仏を唱えれば来世はもちろん、現世においても功徳があるらしいので、お前たちも毎朝怠らないように実践するとよかろう。まぁ、お日様もお月様もどっちを拝んでも(≒毎朝が面倒なら、毎晩でも)いいと思うが。

一、わしは不思議なくらい厳島神社を崇敬し、永年にわたり信仰してきた。かつて折敷畑(おしきばた)の合戦において、厳島神社からお下がりの米と必勝祈願の巻物を持って来てくれたので、そのご加護で勝利を収めることができた。その後、厳島に要害を築こうと訪ねた折、思いがけず敵が来襲したのでこれを迎え撃ち、多くの首級を挙げたので、これを(軍神の血祭りとばかり)並べておいた。これは後に厳島で大勝利を収める吉兆であろうと安堵したものじゃ。そういうことであるからして、お前たちもよくよく厳島神社を崇敬するとよいぞ。

一、つらつら申したく、せっかくだから今回申したが、すっかり気がすんで、もうこれ以上話すこともなくなった。これで本望、めでたいめでたい。とまぁ、恐れながら申し上げた次第じゃ。

11月25日 元就(花押)
隆元、元春、隆景へ、これを進ぜ候。

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※以上、毛利元就「毛利家文書405号・毛利元就自筆書状」より意訳。元就も書いている通り、ニュアンスを酌みとってもらえればと思います。

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