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誰より努力家で仲間思い…新選組の六番隊長・井上源三郎の「裏の顔」

誰より努力家で仲間思い…新選組の六番隊長・井上源三郎の「裏の顔」:2ページ目

人当たりがいい、その裏で……?

さて、そんな源三郎は文久2年(1862年)2月に新選組の前身である浪士組(ろうしぐみ)に参加して以来、慶応4年(1868年)1月に新政府軍との戦闘で討死するまで約6年間にわたって近藤や土方をよく補佐して隊を支えました。

普段は無口だけど人当たりがよく、新選組では外部との交渉ごとや要人の応接など事務的な仕事を担当。人格者として自身が率いていた六番隊はじめ、若い隊士たちからも慕われていたようです。

その一方で、新選組の中でも「人斬り」の異名で恐れられた大石鍬次郎(おおいし くわじろう)などと並んで「無闇に人を斬殺する(元隊士・阿部十郎の証言)」一面もあったそうで、硬軟の使い分けがハッキリしていたのでしょう。

「また源さん……たまには若いのにやらせていいんですよ?」

「いやいや近藤先生。せっかく『京都洛中の平和を守る』理想に燃えて入っただろうに、いきなりこんな役目じゃかわいそうですから」

恐らく、誰もが嫌がる粛清などの「汚れ仕事」も進んで引き受けたことが、人によっては「人斬りを好んだ」ように見えたのかも知れません。

(あるいは本当は人を斬るのが大好きで、肉を斬ったり、血を見たりすると日ごろ隠している本性がうずき出してしょうがない……なんてサイコパスだったとしたら、それはそれで創作がはかどりそうですが)

無口でとっつきにくそうで、怒るとちょっと頑固だけれど、陰では誰より努力していて、人一倍の仲間思い……そんな源三郎だからこそ、今も多くの新選組ファンから愛され続けているのでしょう。

※参考文献:
伊東成郎『新選組は京都で何をしていたか』KTC中央出版、2003年9月
菊地明『幕末証言『史談会速記録』を読む』洋泉社、2017年4月
歴史群像シリーズ『決定版 日本の剣術』学研プラス、2012年10月

 

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