絆を育む「首の血の酒」…戦国時代、三河武士を心服せしめた松平清康のエピソード
世に下剋上の嵐が吹き荒れ、血で血を洗う戦いが繰り広げられた戦国時代。時に主君さえ手にかける裏切りと謀略の渦巻く乱世にあって、犬にも喩えられる忠義の篤さを誇ったのが三河(みかわ。現:愛知県東部)武士です。
松平(まつだいら。後の徳川)家に代々仕え、やがて徳川家康(とくがわ いえやす)が天下を統べる柱石となった彼らですが、その主従の絆は一朝一夕に培われたものではありません。
今回は、そんな三河武士たちと松平(徳川)家の絆を育んだ、一つのエピソードを紹介したいと思います。
御定器に酌まれた「首の血の酒」
時は第7代当主・松平清康(まつだいら きよやす。永正8・1511年生~天文4・1535年没)のころ。
ある日、家臣たちと食卓を囲んでいた清康は、自分の汁椀を飲み干すと、それを持ってみんなに呼びかけました。
「おい、これで酒を飲め」
それを聞いて家臣たちは驚きました。主君の御定器(ごじょうき。専用の食器)なんて、手にするだけでも畏れ多いのに、ましてやそれで酒を飲むなど……皆が恐縮していると、清康は不興げに言います。
「……何じゃ、わしとの間接キスは嫌か(苦笑)」
「いえ(そりゃまぁ微妙ですけど)、決してそういう事ではなく、あまりに君臣のけじめはしっかりつけられませんと……」
いよいよ平伏する家臣たちに、清康は笑って言いました。
「そんなことにこだわっていたのか。確かにわしは主君で、そなたらは家臣じゃが、それはたまたまそう生まれ合わせただけで、身分が人間の貴賤を決める訳ではない。ましてや古来『侍に上がり下がりはなきものなり』と言う通り、我ら同じく武士なれば、共に背中を預け合う仲間ではないか……遠慮は無用ぞ、さぁ飲め飲め!」
「ははあ……」
現代的な感覚だと、少しアルハラ&パワハラっぽくも思えてしまいますが、この心意気に感動した家臣たちは、清康じきじきのお酌によって一人三杯も飲んだ(飲まされた?)ということです。