捨てられた恨みで怨霊に…『今昔物語集』より、復讐に燃える妻から逃げる夫、そして陰陽師のエピソード:2ページ目
妻の背中で恐怖の一夜
「さて、と」
妻の遺体を前にすると、陰陽師はそれをゴロリとうつ伏せにひっくり返します。
「あんた、この背中にまたがりなされ」
「えぇっ!?死体にまたがるなんて、怖くてできませんよ」
「出来ぬなら致し方ない、このまま憑(と)り殺されるがよい」
「そんな殺生な……分かりましたよ。またがりゃいいんでしょ、またがりゃ」
薄気味悪くて仕方ありませんが、生前は散々またがってきた妻の身体じゃないかと言い聞かせ、恐る恐るその背中にまたがりました。
「よいですか。これから秘術をもって女の怨霊を呼び覚ますが、あんたは女の後ろ髪をつかんで、何があろうと決して手を離してはならぬ。もちろん声も発してはならぬ。これを破れば、たちまち憑り殺されてしまうぞ」
「ひい……っ!」
「準備はよいか?然らば……ゴニョゴニョゴニョ……」
陰陽師が何やら呪文を唱え、儀式を終えた陰陽師は「一番鶏が啼くころに戻って参るゆえ、それまで無事でおれよ」と言い残し、足早に帰っていきます。
「何だよ、自分は帰っちまうのか……薄情なヤツめ……」
夫は愚痴をこぼしますが、その場に居残るのは陰陽師にとっても危険なのでしょう。気づけばすっかり日も落ちて、辺りは真っ暗。隣家の住人も恐ろしくなって引っ越してしまったようです。
(カァちゃん、頼むから怖いことはしないでくれよ……っ!)
そんな調子のよいことを祈っていると、やがてうつぶせになっていた妻の目が、暗闇の中で光り始めました。
愚痴ばかりの結婚生活?
(でっ……出たーっ!)
尻の下で妻がもぞもぞ動き始め、今にも起き上がりそうです。
(なんまんだぶ、なんまんだぶ……)
普通なら、うつ伏せの状態から成人男性を背に乗せたまま立ち上がるのは非常に困難ですが、ゆっくりとは言え、妻は立ち上がりました。
(やっぱりただ事じゃない……本当にこれは怨霊なんだ!)
今すぐつかんだ髪を放り出し、声を限りに喚きながら逃げ出したいところですが、そんなことをすればたちまち殺されてしまうでしょう。
(でも、ここにいて大丈夫なのか?)
自分の背中に人が乗っていれば、すぐに気づいてしまいそうなものですが、怨霊は自分の背中に気づけないようです。
「あぁ……背中が重たい……首も痛い……」
そりゃあ成人男性が全体重をかけて後ろ髪にぶら下がっているのですから、首が折れても不思議ではありません。ともあれ立ち上がった妻は、よろよろと歩き始めました。
「さぁ……アイツを殺しに行かなくちゃ……」
陰陽師の術によって積もりに積もった怨念が解放されて、とうとう動けるようになった妻は、意気揚々?と出発します。
(やっぱりー!)
思い当たるところが多すぎるアイツ(夫)は、自分を殺そうと必死にほうぼうを探して回る妻の恨み言を延々と聞かされながら、震え続けるしかありません。
「アイツは新婚当初から……あぁでもない……こぅでもない……」
「いつぞやなんて、ドコソコの娘と浮気した時も赦してやったのに……」
「あんなことをされた……こんなことも言われた……」
「……許せない……許せない……許せない……っ!」
(もう何十年も前のことを、まだそんな根に持っていたのか。あの時俺はちゃんと謝って、お前も許してくれたはずじゃないか。しつこいヤツだな……)
いつ終わるとも知れない愚痴を聞かされ続けて、いい加減うんざりする夫でしたが、反論に口を開けば、ここまでの苦労がすべて水の泡。ひたすら耐えるよりありません。