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溺愛した愛息の死で人格豹変。戦国大名「長曾我部元親」の栄華と没落【後編】

溺愛した愛息の死で人格豹変。戦国大名「長曾我部元親」の栄華と没落【後編】:2ページ目

秀吉への臣従と信親の死

1585年。四国を平定した元親であったが、秀吉との間で四国領土を巡る諍いが起こり戦へ発展する。元親軍は秀吉軍に対抗するも圧倒され降伏。阿波・讃岐・伊予を没収され土佐一国のみを安堵された。

1586年。秀吉の命によって九州征伐に従軍するが、参戦した戸次川の戦いで敗走。元親は難を逃れるも、嫡男・信親は討死してしまう。

晩年の豹変

信親を失った元親は動揺から全盛期の勇猛さを失っていった。信親を追って自決を謀ったり、信親の代わりに四男の盛親を後継に据えると、反対派の家臣たちを切腹させるなど、情緒の起伏が激しくなり家中は混乱した。

後継とした盛親に亡き信親の娘を娶らせるなど、死してもなお信親に対する溺愛ぶりが伺える。

1599年。死去。享年61。後を継いだ四男の盛親は関ヶ原の後に改易され、大名家としての長曾我部家は滅亡した。

 

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