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2月7日は北方領土の日。なぜその日に制定されたの?その理由は日露外交史にあった

2月7日は北方領土の日。なぜその日に制定されたの?その理由は日露外交史にあった

カレンダーを見ていると、ふと「北方領土の日」があることに気づきます。

「ねぇ、2月7日のこれって何の記念日なの?」

そもそも北方領土って何なの……という質問もあったので、今回は2月7日「北方領土の日」について紹介したいと思います。

日露外交の夜明けは、北方領土の国境決定から

北方領土とは、文字通り日本の北方に広がる領土のことで、日本政府の見解では北海道の北東にある択捉(えとろふ)島国後(くなしり)島色丹(しこたん)島、そして歯舞(はぼまい)群島を指します。

昭和20年(1945年)以来、ロシア(旧ソ連)が武力によって占領・実効支配していますが、日本政府はその返還を求めて続けています。

ロシアに奪われてしまった北方領土の返還を求める国民の世論を盛り上げるために制定された「北方領土の日」が2月7日となったのは、江戸時代末期の安政元年(1855年)12月21日に調印された日魯通好(にちろつうこう。魯=露)条約に由来します。

「あれ?12月21日じゃないの?」思わるかも知れませんが、当時は旧暦(太陰暦)を用いており、現代の新暦(太陽暦)で2月7日に相当するため、親しみやすい2月7日となりました。

この日魯通好条約によって、日本とロシアの国境が択捉島とその北にある得撫(うるっぷ)島の間に設けられ、北方領土が国際的に日本の領土であることが確定されたのです。

2ページ目 奪われた北方領土

 

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