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2月7日は北方領土の日。なぜその日に制定されたの?その理由は日露外交史にあった

2月7日は北方領土の日。なぜその日に制定されたの?その理由は日露外交史にあった

奪われた北方領土

しかし、昭和20年(1945年)に日本がアメリカはじめ連合国軍との戦争(大東亜戦争太平洋戦争)に敗れ、当時中立を保っていたソ連に和平交渉の仲介役を頼んだところ、

「日本は戦う意思を放棄した」

と判断。ならば日本が降伏してしまう前に北海道を攻め奪ってしまおうと8月9日、日本に対して宣戦布告します。

ソ連は帝政ロシア時代からずっと「不凍港(冬になっても凍らない港)」を欲しがっており、ヨーロッパ(地中海)への進出を断念してからというもの、東方への進出を試みて来たのでした(かの日露戦争も、それが遠因となっています)。

ソ連軍は当時日本領だった南樺太(サハリン)や千島列島などに攻め込み、日本がポツダム宣言を受諾し、完全に降伏した後も戦闘を続けました。

9月5日までに北方領土は全域ソ連に奪われてしまったものの、現地の日本軍は果敢に抵抗。侵略のスピードを遅らせたことでアメリカ軍が先に進駐、辛うじて北海道への上陸は阻止します。

その後、昭和26年(1951年)にサンフランシスコ講和条約を締結した際、日本政府は南樺太と千島列島(クリル諸島)を放棄しますが、先述のとおり北方領土は千島列島に含まれないため、いぜん日本の領土として返還を求めているのです。

※そもそも、放棄した南樺太や千島列島にしても、日本の主権下におかれなくなっただけであって、ソ連(ロシア)に譲るとは決まっていません。

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