え、まじか・・・実は色紙は白い方が裏だった!?色紙は元々どんな用途で使われていたの?:2ページ目
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ちなみに色紙で大変貴重とされているのは、『新古今和歌集』を選者の一人として有名な藤原定家の「小倉色紙」だそうです。
小倉色紙は、定家が武将・宇都宮頼綱の依頼で、彼の京都嵯峨にある小倉山荘の障子に貼るために書いた物といわれ、そのほとんど散逸してしまい江戸時代には30枚ほどしか確認されていないとのこと。書家として崇められていた定家の色紙は、一枚千両にもなったとか。
江戸時代では「風神雷神図屛風」で有名な俵屋宗達がまだ町絵師だったときに料紙や色紙のデザインも手掛けており、その金銀泥の料紙そのものが美しく評価されています。その色紙に当代きっての文化人で書家の本阿弥光悦が書いた書が、さらに貴重なものとして珍重されています。
色紙には、なんとも奥深い歴史が秘められていました。
現代でなぜ白い側に文字を書くようになったのかは「謙遜して裏紙に書き始めた人がおり、それが一般的となった」などの説がありますが、はっきりとはわかっていません。また、最初から書きやすいように白地を表として作成された色紙もあるようです。
現代ではポップな色使いやデザインの物がたくさん出回っていますが、金銀の古風な色紙を使う時はぜひそちらを表面にして使用してみてはいかがでしょうか。
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